プロフィール

当ブログをお読み頂きありがとうございます。

このブログの記事作成やご相談にお答えしている私のプロフィールです。

 

私は長年、公立中学校の教師をしておりました。

そして、校内暴力などの荒れる時代を経験し、その後は増える多くの不登校生徒と向き合ってきました。

そんな中で、保護者の方が反抗期や思春期のお子さんを育てながら抱える様々な悩みや疑問に応えたいと考え、26年間の教員生活に終止符を打ちました。

私と妻の紹介をします

  • 氏名:空飛ぶミケ猫/身バレすると事例紹介や裏話ができないので(^^;)
  • 生まれ:とある雪国の田舎
  • 年齢:精神年齢は40歳頃から更新なし
  • 性別:男性
  • 身長:175cm
  • 体重:74kg
  • 職業:自営/DTPデザイナー
  • 家族:私、妻1人、子ども2人(男)
  • 趣味:料理、旅行、ブログ、スキー
  • 資格:中学校教員免許/更新してない…
    運転免許(普通車、自動二輪)
    カウンセラー、エグゼクティブコーチ

好きなものは

  • 好きな食べ物:焼肉、とんかつ、ケーキ
  • 好きな飲み物:ビール、チューハイ
  • 好きな男性タレント:西島秀俊、沢村一樹
  • 好きな女性タレント:山本美月、綾瀬はるか
  • 好きな言葉:「なるようになる」

私の妻

妻は「私産む人、あなた育てる人」という女性。

子どもが赤ちゃんの時、夜中のミルクやオムツ交換を妻は苦手としていました ※私が主にやりました。

家事、特に部屋の整理整頓と料理が苦手 ※洗濯以外はほとんど苦手かも(^^;)

中学校の教員をしていて、教育力は高く、特に道を逸れそうな生徒の指導力は抜群で職業人としては尊敬しています(^^;)

 

我が家の子育てを紹介します

子育ての失敗例 長男編

長男の子育ての失敗

幼児の頃は田舎で私の両親と同居をしていたので、祖父母(私の両親)からやや過保護気味に育てられました。

転居で私の両親と離れ、保育園に行くことになり連日大泣きの日々、さらに転居、小学校1年生からカギっ子で辛い思いをさせました。

幼少の頃は、親の言うことを素直に聞く子で特に苦労はありませんでした。

 

一番の失敗は大学受験の時、私と妻の考えが甘く、結果的に三浪して当初の夢を断念させることになってしまいました。

自殺未遂もあり一時は家族全体がどん底でした。

一言で言うなら、親の不勉強から彼に辛い思いをさせてしまったのがいちばんの失敗です。

 

次男の子育ての失敗

幼少時は(私の育児ウエイトが強かったので)超お父さん子でした。

入院で親の付き添いを求められ妻が行ったら「お父さんがいい~」の大泣きで大変で翌日から私が行くことに…。

 

子どもの頃、ディズニーランドに行き、嫌がるのに暗いアトラクションに連れて行き、以来暗闇がトラウマに。

スキーを無理強いして教え、「もう二度としない!」とスキーをぶん投げられる。

良かれと思っていろいろなイベントに連れて行くも興味がなく、「こんなことなら連れてこなきゃ良かった」と言う私に「オレは最初から来たくなかった!」などとキレること多数。

中学校に入り「勉強しなさい!」と言ったら、「オレは○○(兄の名前)じゃねぇ!!」などと母親にキレることもあったようです。

一言で言うなら、父親(私)が思い通りに育てようとして反発を招いたのがいちばんの失敗です(^^;)

 

ミケ猫の略歴を紹介します

プロフィール 略歴

子どもの頃

兼業農家の末っ子の長男として生まれる。

上4人がすべて姉で、5人目で初めての男子、昔の田舎なので大切に育てられました。

その結果、過保護に育てられ、母子分離が不十分だったとようで、幼い頃は保育園から逃げ帰り、仕事に行こうとする母を何度落胆させたことか。

小学校時代、学校に行くのが嫌で数日休むこともたびたびありました。今で言う不登校ですね。

 

中学生の頃

小学校から一変、中学生になってからは1日も学校を休まず、勉強はそこそこできました。

田舎だったため、同級生には農家が多く、ゴールデンウィークには田植えの手伝いをすることが当たり前でした。

深夜に学校が火災になり、中間テストの前夜のことから「誰かがテストが嫌で放火?」という噂が流れましたが、結局は宿直の先生の火の不始末でした(^^;)

好きな女の子とも付き合っていたりして、困ることも特にない充実した楽しい学校生活でした。

 

高校生の頃

高校に進むと、ゴールデンウィークに海外旅行をする同級生もいてカルチャーショックを受けました。
「自分は田植えに明け暮れるGWで、何だコレ?」って感じ(^^;)

仲のいい友達とキャンプをしたり、冬は毎週のようにスキーにでかけるなど楽しく過ごしました。

 

アルバイトで稼いだお金で北海道に一人旅、野宿や行きずりの人の家に泊めてもらったこともありました。

高校三年生の時、周囲のほとんどが大学進学か専門学校への進学希望、兼業農家を継がなければならないと思っていた自分はまったく勉強をしなくなりました。

当然、成績は階段を転げ落ちるように下がっていきました(^^;)

 

就職、そして通信教育

高校卒業後は公立中学校の事務職員になりました。

残業なし、休みはカレンダー通りで、兼業農家の自分にはピッタリ。

 

当然ですが、学校の教務室は“先生”を中心に回っています。

しだいに、「どうせオレなんか」と卑屈になっていく自分に気づいていきました。

その頃、素敵な先生(おばあちゃん先生でしたが(^^;))に出会い、私も教員を目指して大学の通信教育で学びました。

 

教員時代

プロフィール 教員時代
中学校の教師になった最初の年から学級担任をした私は無我夢中で、今思えば至らぬ教師だったろうし、無茶もしました。

その頃は“荒れる中学校”全盛時代で、いつの間にか“荒れる学校”を立て直すことに情熱を注ぎ、大きな充足感も得ました。

生涯一教師を目指し、常に前線に立つことを思い描いていました。

 

でも、学級担任→学年主任→研究主任→教務主任、と年齢と経験に応じて校内の立場が変わり、それと共に次第に子どもたちと離れてしまいました。

「子どもは親次第」という思いが強くなる一方、学校現場にいてはなかなかそれを保護者に伝えられないもどかしさをより強く感じてきました。

 

我が子に「頑張れ」と言いながら、惰性で毎日の生活を送る自分に嫌気がさし、教員を辞めて自分の力でゼロから何かをしようと決めたわけです。

早期退職のことを妻に話すと、一言「いいんじゃない、そういえば若いときからいずれは自分で何かやりたいって言ってたじゃない」と言ってくれ、決意しました。

 

教員を辞めた後から現在

  • 兼業主夫として家族の食事作りを一手に引き受けながら試行錯誤の毎日
  • 近所の鉄工所の仕事を手伝う
  • 思春期子育ての講演講師を目指して様々な団体や新聞社に売り込みに行く
  • ドロップシッピングに取り組む
  • NPO法人を立ち上げて活動に取り組む
  • Amazonで物販に取り組む
  • 物販の買い出しで香港に行く
  • 様々なサイトを立ち上げネットビジネスを試みる
  • 毎月のように東京に出かけ様々なセミナーを受ける

その他、数え切れないほどいろいろなことをしました。
そして、個人事業を始め、法人化し、そこでDTPデザイナー兼オペレーターとして仕事が軌道に乗り現在に至ります。
空飛ぶミケ猫